10.17.2013

An Opinion, An Intention and A Will.

いつも読んでくれて、本当にありがとうございます。

最初に一言お断りを入れますね。
今回のブログは英語学習からちょっと距離を置いた内容でございます。

気分転換というとこでしょうかね。苦笑

内容は、どちらかと言うと、
英語と共通している「意思疎通」について、です。




みなさん、緩和ケアってご存知ですか?
英語ではPalliative Careと言います。


って(ホントに)突然振ってしまいますが・・・・・


このブログをUPするのはちょっと時間差になると思うんですけどね、
だいぶ前、9月の上旬に、いつも会うたびインスピレーションを受ける方が
日本から来ていて、その方と夕食を共にする機会に恵まれました。
多くの貴重な話を聞くことができて刺激になりましてね、
いつもお世話になっているのです。

この方は、バンクーバーにはほぼ毎年研究目的で来ていて、
日本の在宅看護における教育モデルの構築を目指している方です。

私はこの方と縁があって、帯同通訳や書物の翻訳等のお手伝いをさせていただき、
カナダと日本の在宅看護、特に緩和ケアについて学ばせてもらい、
いつも開眼する体験をさせていただいています。


その食事の場でその方が言っていた
[意見]
[意志]
[意向]
についてちょろっと、読者のみなさんと考えたいなぁ、
と思いブログを書いています。

英語だと、
意見=Opinion
意志=Intention
意向=Will
かな、って個人的に思います。

緩和ケアってね、もちろんご存知の方も多いと思いますが、
いわゆる終末期を迎えた患者さんたちが受けるケアでね、
病棟でのケアもあれば、ホスピスや在宅で受けるケアもあるんです。

患者さんの持つ症状にもよりますが、
治療というよりも、痛みの緩和などのケアを主に施していきます。

ちょっと看護師さんからの目線で語るとですね、
ここカナダでは、緩和ケア看護師が地域ごとに常勤しており、
システムが非常に整っています(でもまだまだ課題はあるそうですが)。
様々なジャンルの看護経験を得て緩和ケアに至った人もいるし、
看護師一年目から緩和ケアになった人もいますが、
話を聞いていると、大変な反面とても奥深いんだなぁ、といつも思います。

地域の中の病院、自宅、またはホスピスなどでのケアにて、
看護師さんたちは常に患者さんやその家族さんたちと最後まで向き合い、
患者さんは何を一番望んでいるのか、という課題を常日頃から課せられています。

そこで、意見・意向・意志の反映が欠かせなくなります。
もちろん、私たちの普段の生活にもこの三つは欠かせないのですが、
看護においてはこれはとても大事な要素だと、
今日お話した際に改めてそう感じました。

その方は言います。コミュニケーション能力がとても大事になる、と。
患者さんの意見・意向・意志がどのようにして伝えられるか、
どのようにして実現できるか、
また、その意志や意向が実際どのようなものなのか、
しっかり見聞きする必要があります。

人は誰でも寿命があります。ピンと来ないかもしれませんが・・・・・
毎日考えることでもないのですよね、自分の最期について、なんて。
私も日々そんなことを考えては生きていません。
知らず知らず、日々に追われる、、って思っているんでしょうね。
そういう時って、「死」について考えることは皆無に近いのでは、と思います。

でも、もし、死が目前に迫っていたり、あと余命いくばもないと知り、
この先残りの人生をどう過ごすか考えてみることを想像してみると、
希望や、やり残したこと、そして家族や友人に遺したいことなどを
考えると思うのです。

そしてそう考える際、自己の意見・意志・意向が反映される環境や、
それを可能にしてくれる環境はとても大事なのですよ。

私の父は7年間程、寝たきりの祖母の介護をし続けていました。
いわゆる老々介護です。
それはそれは献身的で、週に何度か来るヘルパーさんも
「すごい!プロになれますよ!」とコメントするくらいです。
でも、父は疲弊していました。

同居している長男という半ば責任感もあり、父がずっと介護をしていました。
周りは、父のあまりに献身的な介護に何も手を出せずに居ましたが、
父が疲れきっているのは誰の目からも明らかでした。
祖母を施設にお願いするという提案も全く受け入れず、ひたすら介護です。

祖母の意識がなくなる前に、祖母がどうしたいかをしっかり聞いていればよかった。
と家族全員が思いました。
父が仮に家族の長であっても、祖母の意向が聞けていたりしたら、
尊重して、それに沿っていたに違いありません。

祖母は意識があったころ、「あまり長く生かせようとしないで」
というような半ば冗談でしたが、そんな思いもちらほら出していました。
でも、決定的な意向や意志を聞くことができずに、意識がないまま寝たきりになりました。

看護・介護の形は人それぞれ違います。
そして経済状況も大きく関与します。
家族の力なくしては介護が出来ない、ということのほうが多いのでは、と察します。

家族単位でのコミュニケーションはもとより、
いざ介護師・看護師と接した際のコミュニケーションも必要になります。

意見の交換の場をもてたり、意向を何度も確認する機会が作れたり、
意志をしっかり受け継ぎ尊重することができたら・・・
そして比較的早い段階でそればできたら・・・・

日本でそんな環境を今以上に身近に感じる介護システムができたら、
最期のその瞬間を迎えるまで個人の願望、希望、思いをもっと伝えることができて、周りの家族や友人と共に幸せに満ち足りた人生を過ごせるのでは・・・
期待の念を抱いて止みません。

なんだかシリアスな内容になってしまったのですが・・・
ちょっとそんなことを思っておりましたので、綴ってみたよ。
読んでくれて、ありがとう(^^)

コメント・感想、どしどしお願いしますね。

Hope exists till the end.

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