今日は友達と短編映画を観ました。
Vancity Theatreで、イギリス人監督によって制作されたKanzeon (観世音)というドキュメンタリーです。
興味深くて、客観的に日本の仏教と音のお話に感化され、映画が醸し出す独特な雰囲気に浸りました。
映画の中で、「間」について話されてましてね。
映画が終わったあと、ロンドンにいる映画監督とSkype中継が繰り広げられたのです。ロンドン早朝だっていうのに、監督さん凄く気さくに質疑応答に応じてて、その中で、観客である一人の女性が「間」の定義を求めたのですよ。
そこで、監督さんは以下のようなことを言っていたと記憶しています。
"Nothingness but there is something happening in that nothingness"
(「無」のなかでも何かがその「無」のなかで起きているんだ)
深いことをおっしゃっていました。
そして何だか同意できます。
「間」で辞書牽くと、当然ながら「距離」「話の中で適当に取る無言の時間」「リズム、テンポの意」「ちょうどよいとき、折り合い」などが定義に含まれています。
間が悪い、間を外す、間を選ぼう、間が合う、間を取る、などなど言えますもんね。他には間際、間違い、とか…
英語で言うと内容次第で
timing
chance
silence
rhythm
tempo
space
とより具体化された単語たちが出てきます。「間」一言でここまで意味できるってスゴい。
でもね、日本語の「間」から垣間見ることばの意味は決して漠然としていないんだと思うのです。
日本人の生活や文化に自然に根付いているものだから、たんなる言葉ではなく、空気のように「間」が存在しているのでしょうかね。
このブログを読んでくれている皆さんはどうでしょう?
「間」って何かと聞かれたらどう答えますか?
それにしてもVancity Theatreのポップコーン、めちゃくちゃ美味しかったです。
映画館の宣伝ありがとー!w
返信削除言葉は恣意的だからこそ、こういう疑問が生まれるのよね。
気持ちを言葉に表したくても、そりゃ無理な話だ!
って諦めたくなった日でしたー。