9.26.2013

英語の感覚と理論のバランス

英語ってね、
ツールなんですね。
なので、使うものなのです。

使うには体が感覚を掴まなくてはいけないのですね。
でも、同時に、英語が持つ理論も習得しなくちゃいけない日が来ます。。




ほぅ・・・・・感覚と理論・・・・て、一体全体何じゃらほい?

感覚=体験・イメージ・無意識
理論=理由・説明
でしょうか。

感覚が先に来ているか、
理論が先に来ているかはみなさん個人で違います。


まず、感覚の話をしたいです。

英語を日本語で理解するのは楽です。
でも、それはあくまでも訳で、使うのを目的とする習得方法としては、
実は遠回りなのです。。

[言語を習得する際は、理論に頼るより、まず自分にある感覚に頼っていくこと]
だと思います。

いわゆる感覚ってね、根底にあるもの、生活に密着してるもので、
体の反応や動作にもっと直結するもの、常に刺激をうけていて、
そして、有無を言わず備えていくものだと捉えます。
みんなそれぞれ違う形で感覚を備えています。

みんなが初めて母国語を習得したとき、
体が覚えていたと思うんです。
その'感覚'は、ある程度は第二言語でも同じではないかな、と。

だって、結局伝達する際は口・声・手足を使うんですもん。
それは理論で説明する範疇を越えます。
動作の必要性がものを言います。

もちろん、習得していく過程の途中で「?」ってなって、
わけがわからなくなる発見もあります。
つまずいて先に行けない感じというか、そういう思いに駆られますが、
そこはあえて、想像力を信じてあげて、
小さいときに大人の会話を聞いてて「?」ってなる感覚を思い出してみてください。

知らないときは「知らない」でいいんです。わかる範囲でいいんです。
できるだけイメージしてみるんです。日本語での解釈というオプションをここでは設けないでいてください。もちろん、NO DICTIONARYですぞ。

「知らない」に出くわしたら「知らない」ということを認識し、
そこでその場でできるだけイメージしてみる。
その場ですぐに調べたりするのではなく、
推測してみたり聞いたりするのです。

ある程度までは感覚でいけると信じてあげるといいでしょう。
イメージを沸かしてとにかく自分にある感覚を使うのです。
そして、第一言語で培った知識を第二言語で活かす、という意味での'理論'は、
ある意味使わないともったいないな、とも思います。

例えば、単語のsun.
この字を見たり聞いたりしたら、恐らく日本語よりもまず先に'絵'が脳裏に浮かぶと思うんです。それはもう感覚が身についているから。
でももし、この sun という単語が長い文章に組み込まれていたら・・・
The sun was brightening up the entire prairies.

場合によって意は単語の一つや二つ、わからないかもしれません。
ここで、[知らないなぁ]と、真っ白にならず、冷静になってみましょ。

知ってる単語をヒントに、例えば、以下のような感じで
「brightenも、なんか、sunって言ってるし、brightに近いのかな、
だったら、眩しいのかな、でもingがついてるから続いてたのかな、
entire と prairies はわからん。entireって、タイヤ?でも太陽とタイヤってなんか
繋がらないなぁ・・・・・ prairiesも、playとはスペル違うし。。。
うーん、でも太陽が眩しかったってことか。
続きを読んだらもっとわかるかな・・・」

で、いいんです。
どこかで何かの想像力が働いているはずなんです。
そして、これが本の中身にある文章なら、
単語がわからなくても脈略と単語の出没頻度でなんとなーーーーーーく
「うーーーん・・・・・なんか、このこと言ってるのかな」ってな具合でいいんです。

そして、少し後になって気になっていたことを人に聞いたり
辞書など調べてみたりすることで、
今まで得た知識たちと照会してみることができるんだと思います。
母国語での予備知識がそうさせてくれるのです。

でも、その「新しく知ったもの」、使わないと得れないものなの。
なので、必要だと思ったものは迷わず使ってくださいね。
知ったものを自分のものにするためには、使って初めて可能になります。

新しいフレーズや単語など、
これを入手しても使わなかったり、したら意味がないんです。
感覚を掴むことが理解よりも先に来ます。
五感を使って得るんです。

なんとなく「こう書いてあったなぁ」や、
「こんな気がする」でもいいのです。
それって、身についてる感覚だし、大事です。

そして、理論。

感覚には限界があります。
さらには、感覚が正しいとも限らないときもあります。
間違ったものを習得してしまうのはたびたびです。
感覚で得た表現を理論的観点から再確認するだけで、
ずいぶん理解の仕方が変わります。

例えば、感覚で聞こえてた[アイムゴナゴーホム]、
このゴナ、gonnaって口語では言えるかもしれません。でも、綴りは、
going to です。これはもちろん未来系の綴りにgonnaが存在しないのと、
be going toで、~する予定、という表現があるから、という理解が必要です。

ネイティブスピーカーでも感覚を頼りにしてしまってスペルを間違えることを
見かけます。
They'reと書くところにThereが綴られているケースなんてしょっちゅうです。
音が同じだもんね。
文法的背景がここでは抜けてしまっていて、音の感覚に頼っているのではと思います。

感覚を思いっきり頼って→理論で確認して→感覚に戻って使う
この癖を付けるだけで違うと思います。

読む文章は、例えば、まず目で単語の位置を知り
こんな単語の位置なのね、
この単語とこの単語は知ってるけど、
この単語知らないな。でも、こんな意味なのかな、
後で調べよう(後で聞いてみよう)
よし、これでちゃんと理解できた。
感覚理論感覚に戻る

書く文章は、例えば前にどこかで目にした文章を脳裏に蘇らせ
こんな風に書くんだったよな。
この前置詞のがイメージあるし、
この単語で伝わるはず。スペルもこんなんだったな・・・ 
後で誰かに読んでもらおう(二度読みして自己チェックしよう)
この表現を色々なところで活かせるぞ。」
感覚理論感覚に戻る

理論に補助されるだけで基礎が固まります。
カンカクちゃんとリロンくんは切っても切れないんです。
英語を日本語に置き換えるのではなく
英語は英語、これがそうなんだ、と体に知らせる行為。
それに抵抗しないことっ!

自身が生活している環境周辺を見るとね、
みんな無意識にある程度までは感覚でいけるんです。
看板だってローマ字だし、日本語英語も横行しているし。
でもね、感覚をもつことにつまづいたら、
「待て待て。調べる前に、これも一つの英語として捉えよう」
と、感覚を信じてあげて、
そして理論に進みましょ。
「よし、あれはどういう意味なんだろう」だったり、
「ああ、だからこういうのか!納得!」ってところに至ります。


経験に基づく個人的な意見ですが、
言語習得(私が知る範囲で英語習得)に際しては、
理論より先に、言語を身につける感覚を得ることは誰にでもできると思います。
けれども、感覚のみにならずにいることも大事なんです。

ただし、
慣れるまでは疲れます。
頭がボーっとするし、脱力感もきっとあるでしょう。
でもそれはいいサインです!

Use your sense and understanding deepens what you've acquired (^^)

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